2009年11月1日日曜日

石山本願寺跡?土器破片を発見

大阪城天守閣(大阪市中央区)北側で、16世紀後半の素焼きの土器や焼け焦げた土などが市文化財協会の発掘調査で見つかっていたことが30日、分かった。同協会の佐藤隆事業担当係長によると、織田信長と本願寺勢力が争った石山合戦の舞台で天正8(1580)年に炎上した当時の浄土真宗本山「石山本願寺」に関連する可能性が高いという。石山本願寺の炎上後、豊臣秀吉が大坂城を築いたとされるものの、これまで明確な痕跡は見つかっておらず、幻の寺院の存在を裏付ける資料になりそうだ。
 調査は、国特別史跡・大坂城跡整備に伴い、平成19年に約50平方メートルの範囲で行われた。地下約4メートルの地層から、「土師器(はじき)」と呼ばれる素焼きの土器の破片が少なくとも十数点、土壁の破片や焼けた土も確認された。ただし、調査当時は土器の年代特定が困難だったことなどから、石山本願寺との関連は不明だった。
 佐藤氏が、土器の形や出土した地層を詳細に調べた結果、土器は天文年間(1532~55年)後半から、天正8年までに使われた可能性が高いことを突きとめた。
 さらに、土器が見つかった層や、直上の層は土が厚さ約1メートルにわたって積み重なっており、石山本願寺焼失後、大坂城築城に伴ってこの一帯が大規模に造成されたことが分かった。
 発掘調査では、建物跡などは見つからなかったが、土器は石山本願寺にいた僧らが儀式や日常生活などに使ったと推定。焼けた土壁は、天正8年に炎上した石山本願寺の施設の一部とみられるという。

 石山本願寺については、当時、日本に布教にきていたポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが母国に報告した中で、「豊臣秀吉の大坂城は旧城(石山本願寺)の堀の中に築かれた」と記されていることなどから、現在の大阪城公園内にあったというのがほぼ定説になっている。ただし、明確な遺構が見つかっていないため、今も場所は特定されていない。
 
☆☆☆中3☆☆☆
【社会】
『復習授業 地方自治』『復習授業 司法』『復習授業 三権分立』
かなり忘れています。何となく覚えているというのは忘れていると同義です。
自分を甘やかしたら駄目ですよ。
『平成20年 横浜診断過去問題』
 中原中  26点 資料を読み取る問題が弱かったです。
 奈良中  26点 問題の読み違いがあったかな。
 東橘中  24点 ちょっといい加減でしたね。
【英語】『平成年 川崎診断過去問題(全21点)』
 中原中  18点 Why don't ypu~?はbecauseとは呼応しなかったね。残念。
 奈良中  11点 基本単語がなかなか増えないです。特に過去分詞がネックだね。
 東橘中  16点 良い感じで上がってきました。うっかりミスは減らしたいね。
 
◆◇◆毎日が記念日◆◇◆
灯台記念日
 海上保安庁が1949(昭和24)年に制定。
 1869(明治元)年、神奈川県横須賀市に日本初の洋式灯台である観音埼灯台が起工された。
制定当初は、洋式灯台の導入が文化の先駆けの意味が強かったことから、11月3日の文化の日に先駆けて1日を記念日としたとされていた。しかし、1970(昭和45)年の『灯台百年史』の編纂の時に、観音埼灯台の起工日が11月1日であったことが判明し、これが灯台記念日の日附の由来とされるようになった。海上保安庁でも「文化の日先駆け説」と「観音埼灯台起工日説」の両方を併記して広報して来たが、後者の方が一般的に紹介されるようになってたことと、1948(昭和23)年に灯台80周年記念行事が行われていたことが判明したことから、2000(平成12)年より、由来を後者のみとし、実施回数も明治元年からの通年表示とすることになった。
 

点字記念日
 1890(明治23)年、日本語用の点字が決められた。
 それまで日本語を点字で表す時は、欧米の点字を利用したローマ字綴りにより表現されていた。そこで、官立東京盲唖学校長の小西信八が、かな文字にあった点字の研究を依頼し、教員や生徒から三つの案が出された。それらを検討した結果、この日開かれた日本点字選定会で、教員の石川倉次が考案した石川案が満場一致により正式に採用された。