偶然とは恐ろしいな、と思う。昨日は幸田露伴と谷崎潤一郎の忌日。 実は7月9日は上田敏と森鴎外の」忌日。上田敏は『海潮音』でマラルメ、ヴェルレーヌを訳し、しかも『海潮音』は鴎外に捧げられている。鴎外は、かの有名 な『舞姫』にもあるように、ドイツ留学しており、当に欧州繋がりだ、
旧暦の7月6日(新暦だと8月6日)、野見宿彌の提案により垂仁天皇が殉死を廃しした。旧暦7月6日は、新暦だと8月6日に当たり、ヒロシマの悲劇と同日だというのは、偶然とは言え空恐ろしい。ヒロシマは太平洋戦争の敗戦の礎=殉死のように思えてしまうからだ。
なぜ殉死のことを朝っぱらから書いたかと言えば、鴎外が『興津弥五右衛門の遺書』」や『阿部一族』で殉死をとるあげていryからだ。確かに『阿部一族』では殉死し損ねた阿部一族をテーマにしているが、やはり軍医総監まで務めていたことと関係していることだろう。
『興津弥五右衛門の遺書』」や『阿部一族』は、乃木希典の明治天皇 への殉死に影響されたもの。乃木の死を同情し『こころ』を書いた漱石とは異なる(『こころ』のKは乃木の名前「希典」がキテンと音読みされたことに由来するらしい)。近 代化へ進む中で、野蛮だと廃止された殉死を賞賛した鴎外も不思議な人だと思う。
もしやと虞ながら、過去の311を調べ驚く!1239年天変が相次 ぐ為、延應に改元したのはまだしも、1927年の311は大正天皇の大喪の礼が行われており、おまけに今年は大正100年に当たる。ここでも不謹慎ながら 殉死、否、供犠という言葉が』浮かぶ。世界は何に動かされているのだろうか…