音楽家のレイ・ハラカミ(本名・原神玲)さんが脳出血のため27日19時頃に急逝したことを、所属レコード会社のヤマハミュージックコミュニケーションズが28日、公式Webサイトで発表した。40歳だった。
レイ・ハラカミさんは1997年にシングル「rei harakami ep」でデビュー後、現在に至るまで数々のアルバムを発表。2001年以降は、矢野顕子やUAなどの作品プロデュースや、くるり、サカナクション、ナン バーガールなどのリミックスなども手がけるなど、多くのアーティストとコラボレーションし、2007年には矢野とレイ・ハラカミによるユニット・ yanokamiとしてもデビューしている。今夏は『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011』や『サマーソニック2011』などに出演する予定となっていた。
ハラカミくんのこと(otomojamjam2011-07-29)
ハラカミくんと初めて会ったのはいつだったのかな。6~7年前くらいかな。場所は間違いなく京都の吉田屋料理店。僕らは呑み仲間で、そこには山本精一がいたり、高谷史郎がいたり、Sachiko Mがいたり、カヒミ・カリィや岡社長、竹村ノブカズがいたこともあったと思う。FMNの石��さんやp-hourの田村さん、グルグル京都の高橋マキちゃんなんかも大抵いた。もちろん吉田屋の女将や、ご主人の小崎さんも。 僕らは互いのコンサートを見る機会、結構あったけど、呑みの席ではいつもほとんどバカ話を朝方までするだけで、一度も一緒に音楽をやることはなかったし、音楽の話もほとんどしなかったと思う。3月11日までは。
彼から突然電話が来たのは3月下旬、京都に来るときに会いたいって話だった。電話が来るのなんてほとんど初めてだったんじゃないかな。せっかくだから、オレの方からもKBS京都で収録してるJAMJAMラジオにゲストででてくれないかって話をして、それでもって3月31日に収録したものが、今でもポッドキャスト版聞く事ができる。そうそう、いつもこんな感じで、いや、これ以上の毒舌で僕らは話していたんだった。 実はこの日は、他にもSachikoMやFMNサウンドファクリーの石橋さんとも番組を収録し、そのままみなで吉田屋に流れて、朝まで呑んでいる。放送にはほとんど出て来てないけど、話したのは震災のこと、そして福島の原発の事故のことだった。 それ以降、頻繁に連絡を取り合うようになった。それだけではなく、これまで共演なんて考えたこともなかった僕らは、彼の生前2度だけイレギュラーな形ではあるけど共演している。最初が5月8日。DOMMUNE FUKUSHIMA! の開局記念番組に郡山まで駆けつけてくれて、彼自身のセット以外にも、和合亮一の朗読する「詩の礫」で七尾旅人、ユザーン、私とともに、なんとピアノの即興演奏で参加。(ここで聴く事で来ます、もしかしたら現時点ではこれが彼の最後の音源かもしれない さらに5月28日茨城笠間のフェス、センスオブワンダーで急遽ユザーン、ハラカミ、大友の3人でYMOのテクノポリスをカバー。といってもユザーンはホルン、ハラカミくんはガットギターにカズー、オレはビブラスラップ(通称:与作)という編成の、なんともゆる~~いテクノポリスだったけど(特にオレのビブラスラップがひどい)、でも、今度福島で坂本龍一さんの前でやろうかと思ってたくらい、オレは好きな演奏だったのだ。 JAMJAMラジオにも出てくる話だけど、彼は広島の被爆2世だった。母親は爆心地から4kmのところにいたそうだ。そのこともあったのだろう。放送の中でも、福島の人達が被曝しているという理由で旅館に泊めてもらえなかった事件に怒っていたし、広島では4kmで生きてる人がいるんだから希望をもって・・・というような話もしていた。
先々週、急遽福島のフェスに出演する人達向けにやった木村真三博士の放射線講座にも駆けつけてくれた。普通に元気そうに見えたんだけど、このとき話したのが最後になってしまった。 「オレ、ステージでなんかやれっていってもさ、あんま出来る事無いしなにやるか決めてないけど、とにかく8月15日は絶対行くから。まあ、なんか演奏するかもだけど、やることなかったら客席でぐるぐる回りながらただただ叫びまくるから『ヨシヨシ~~』って(笑)。ヨシヨシもさ(彼はなぜかオレをそう呼ぶ)大変だと思うけど、あんま無理しないでさ、死なないように体とにかく気をつけて」 死なないように・・・って。 彼は自分の事のようにずっと心配してくれていたのだ、東北のことを、福島のことを。そして、なぜかオレのことも。泣けてきやがる。本当に泣けてきやがる。もう泣きたくないのに。
いつも仲間が死ぬと思う。オレも遅かれ早かれそっちに行くから、先に行って面白い場所見つけておいてって。安らかに眠らなくていいから、おもろい場所、見つけてセッションでもして打ち上げしながら待てってくれよなって。
でも、今回はあっちに行く前に8月15日福島に来てほしいなあ。来てぐるぐる回りながら叫んでほしいなあ。せっかく放射線講座一緒に受けたんだからさ、もう一回福島に来て大風呂敷広げてるの見て欲しいなあ。駄目かな、無理かな。オレ、ヨシヨシって呼ばれるのすごい嫌だったけど、今回は多めに見るからさ。
非常に個人的なことですみません。
6月にクラレンス・クレモンズが亡くなり、つい先日もエイミー・ワインハウスも亡くなり、中村とうよう氏が亡くなり、今度はレイ・ハラカミかよ!って…震災や原発で多くの方が亡くなっているにも関わらず、そのことよりも僕には悲しいことです。
Aimy Winehouseが亡くなった。死因はOD。僕は彼女の唄が好きだった。アルバムも全部、持っている程だ。いつかニーナ・シモンの様になるのかなぁと勝手に大期待していた。 Soul、BLUES.Jazz…etcは、花伝書ではないが、老いながら咲かす花があると思っている。
土方巽は「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」(『美貌の青空』)と記している。歌もまたそうかも知れない。三島由紀夫は市川團蔵が投身自殺したことに「芸道とは何か?それは『死』を以てはじめてなしうることを、生きながら成就する道である」と述べた。…ということは、芸道は不死身を表す。
死や不死身とか大袈裟でいけない。もっと単純なことなのだ。アレサが60才になっても、Still Rose と唄うような、花を見たかったのだ。 Tow Waitsは、誰かが亡くなると墓場に花が手向けられるが、花の墓場には何を手向ければ良いのか?という歌がある。
ニーナが咲かせた花、アレサが咲かせ続けている花…もちろんエイミーが咲かせた。まだ小さく、これから大きくなるだろう花を。残念なことに3つか?花を咲かせただけだったが。花は種子となる。エイミーの種子が新しい花を咲かせると良い。お疲れ様。R.I.P.
今日(7/24)は芥川龍之介忌日、河童忌だ。かなり最近まで、遺書があり、その中に「将来に対する唯ぼんやりした不安」と書いてあったのだと思っていたが、どうやら違っていたようだ。配偶者や菊池寛への手紙に書かれていただけという。死の数日前に内田百閒が芥川に会った時には睡眠薬に泥酔していたらしい。
幼い頃、祖父から芥川の『河童』を話して貰い、性善説や性悪説も教えて貰った。教会に通っていたのだから原罪を人は持っていると信じ込んでいたから、当然、性悪説をに決まっていると思っていた。今もかわらない。ただ1つ違うことがあれば、立川談志の「業の肯定」の絶対的な正しさ知った事だ。
英語では、主語と目的語は等しくあってはならない。例えば He killed him.は文法的にはおかしい。正しくは He killed himself.になる。~self と物化しなければならない。中学の英語の授業で習い、初めて合点がいった。キリスト教で自殺が禁じられるかを。
He=主語は人間で、himself=目的語は物だから、自殺は被害者と加害者の一人二役ではなく、単なる殺人なのだ。死体を仏様と呼んだり、臓器移植に抵抗を感じる日本とは全く異なるメンタリティなのだ。おそらく日本では、自殺の中の加害者的要素は隠蔽され、被害者として捉えられるのだと思う。
一人の人間の中の、この主語と目的語の非対称性が、自殺者に対して僕を戸惑わさせるのだ。悲しむことか、希望が叶ったと思うべきか悩ます。今までに狂言か事故か自殺か、はっきりしない死に何度か出会ったが、未だに結論はでない。ただ死は、人の心を浄化する。敬虔な気持ちにさせることは確かだ。
人は業深く、談志師匠が言われる通り、その業を肯定すべきだと思う。だから死に対しても、もちろん自殺者に対しても、僕が思うことはただ一つ、「お疲れ様」という言葉に尽きてしまう。中村とうよう氏にも。 R.I.P.
鉱物界、植物界、動物界、人間界と類比的な四声部組織を持つ音楽は、意志の直接の客観化として、あらゆる芸術の王者である…ショーペンハウエル
なによりも先ず音楽を…ヴェルレーヌ
あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる…ペイター
皆さん、ゆっくりお休み下さい。R.I.P.