2008年10月10日金曜日

<ノーベル化学賞>下村脩・米ボストン大名誉教授ら3博士

スウェーデン王立科学アカデミーは8日、08年のノーベル化学賞を下村脩・米ボストン大名誉教授(80)ら3博士に授与すると発表した。受賞理由は「緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」。下村氏らが見つけたGFPとその遺伝子によって、たんぱく質を蛍光標識し、脳の神経細胞の発達過程や、がん細胞が広がる過程などを生きた細胞で観察できるようになった。分子生物学や生命科学の発展に大きく貢献したことが高く評価された。
 日本人のノーベル賞受賞は7日の物理学賞3人に続いて16人目。化学賞は福井謙一氏(故人)、白川英樹氏、野依良治氏、田中耕一氏に続き5人目。年間の受賞者数も過去最多の4人となった。 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、下村氏ら3人に賞金1000万クローナ(約1億4000万円)が3分の1ずつ贈られる。 下村氏は、1962年にオワンクラゲから緑色蛍光たんぱく質(GFP)を初めて発見した。さらに分離・精製にも成功した。このGFPは、紫外線を当てると発光する。その後、92年に別の研究チームがGFPの遺伝子を特定し、複製に成功。さらに別のチームが、異種の細胞内にGFPを導入し、発色させることに成功した。
 GFPの発見以前は、たんぱく質を蛍光標識する際、たんぱく質を一度精製した上で蛍光物質を付け、蛍光標識したたんぱく質を生きた細胞内に注入するなど、煩雑な作業が必要だった。GFPは、他のたんぱく質の遺伝子に融合させ、細胞内に入れるだけで、細胞内の好きな場所で蛍光を作り出せる。そのため、目的の遺伝子が生きた細胞内のどの場所で働いているか調べられるようになり、これによって分子生物学や生命科学などの研究が大きく進展するようになった。


 【略歴】下村脩(しもむら・おさむ)氏 1928年京都府出身。51年に長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)を卒業。60年に米プリンストン大に研究員としてフルブライト留学した。63年名古屋大助教授、65年プリンストン大上席研究員、82年米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員(01年退職)。米ボストン大名誉教授。主な受賞として、04年にPearse Prize(英国王室顕微鏡学会)、07年に朝日賞がある。米マサチューセッツ州在住。

★★★中3★★★
【英語】『Lesson5の単語』
【数学】『平行線と比』
どちらも後期中間試験の山場になります。
しっかり頑張りたいですね。
 
★★★日本史★★★
『大和政権② 推古天皇の治世』
物部氏と蘇我氏の対立から聖徳太子の政治まで勉強しました。
大まかには中学でも学習しているから覚えていると思います。
細かな部分をしっかりフォローして下さい。
明日は大化の改新からです。
 
★★★高校生テスト対策★★★
RT,KO
【地理】『テ対プリント』
【英語】『テ対プリント』
学校の教科書忘れは痛いですね。
明日は地理と古文の教科書を必ず持ってきて下さい。
 
IS
【現代社会】『テ対プリント』
【英語】『Lesson3 テ対プリント①』
 
SK
【地理】『テ対プリント』
【英語】『Lesson3 Lesson4テ対プリント』
【古文】『芥川』
 
HO
【世界史】『テ対プリント』
【古文】『テ対プリント』
【地理】『テ対プリント』
【英語】『Lesson3 Lesson6単語テスト』
 
EO
【政治経済】『テ対プリント』
【世界史】『テ対プリント』
 
ST
【日本史】『テ対プリント』
【現代社会】『テ対プリント』
【英語】『Lesson5 §4』 今日の続きは明日行います。
 
◆◇◆今日は何の日◆◇◆
 
▲日蓮、佐渡に流される(1271)
▲日本銀行開業(1882)
▲大阪毎日、大阪朝日両新聞社同時に夕刊を発行(1915)
▲ファイティング原田、世界チャンピオンに(1962)
▲慶応、順天堂両病院にアイバンク開設(1963)
▲アジア初、東京オリンピック大会開催。日本は史上最多の16個の金メダルを 獲得(1964)
▲金田正一、400勝(1969)
▲テレビ、NHKでついに全放送時間がカラー化(1971)
▲東京都葛西臨海水族園オープン(1989)
 
誕生
ヴェルディ(作曲家1813) 
ナンセン(探検家1861) 
ジャコメッティ(1901)   
羽仁進(映画監督1928) 
野坂昭如(作家1930) 
 
誕生花 メロン (Melon)     花言葉 飽食