2010年1月25日月曜日

豪州のサンゴ礁沖を初掘削へ

 世界最大のサンゴ礁、オーストラリアのグレートバリアリーフの沖合を初めて掘削し、過去2万年間の気候変動の解明を目指す調査が、2月上旬から始まる。日米欧などの「統合国際深海掘削計画(IODP)」の一環で、横山祐典東京大海洋研究所准教授ら約30人の国際研究チームが掘削船に乗り、水深40~200メートルから既に死んだサンゴの化石を採取する。
 グレートバリアリーフは世界遺産であり、豪州当局から掘削調査の許可を得るのに長年かかった。研究チームの共同首席研究者を務める横山准教授は「最初で最後の掘削かもしれない。将来の気候変動を予測する上で、熱帯域の過去の水温変化などのデータは非常に重要だ」と話している。
 深層掘削調査は、これまで南極大陸やグリーンランドなど極域の氷床が多く、熱帯域のサンゴ礁ではカリブ海のバルバドス島沖や南太平洋のタヒチ島沖でしか行われたことがない。ドリルで掘削して円柱状の試料(直径約8センチ)を採取し、サンゴやプランクトンの化石などを化学分析すると、当時の海面水位や水温、塩分などを推定できる。地球の気候は氷期と間氷期を繰り返しており、2万年前は前回の氷期のピーク、1万年前は終わりに当たる。当時の平均水温や比較的近い南極氷床がどのように解けて海面が変動したかを、コンピューターの気候モデルと組み合わせて検討すると、現在の状況を判断し、将来を予測するのに役立つ。太平洋の東西で水温がシーソーのように変動するエルニーニョ・ラニーニャ現象の過去の傾向や、二酸化炭素(CO2)排出量増加に伴う海の酸性化、グレートバリアリーフの形成過程の解明も、今回の調査目的だ。研究チームの船は2月4日ごろに豪タウンズビルを出港し、3月下旬まで掘削航海を行う予定。掘削や試料分析には東大のほか、産業技術総合研究所、名古屋大、岡山大、琉球大の研究者が参加する。 
 
☆☆☆小学生☆☆☆
小5
【算数】『中学入試A 分数の計算』
途中計算を書くことは出来ていましたが、まだミスは多いです。
早くどうにかしましょう。
 
小6
【英語】『英単語テスト(全30問)』
 HTくん 17点 惜しいミスばかりでした。後もう一息です。
 HKくん 25点 なかなか良いですよ!素晴らしいです。
 KOさん 14点 うーん、bとdの区別が付いていないですよ…
【歴史】『第一次世界大戦』
 第一次世界大戦の原因、理由、結果、大正時代の日本についての授業をしました。
 eトレで補習して下さいね。
 来週は昭和初期に入ります。
【理科】『気体の性質』
 酸素、二酸化炭素、水素、アンモニアの作り方や性質について授業しました。
 気体の性質のテストをしますよ。準備しておきましょう。
 
☆☆☆中学生☆☆☆
中原中2年
【英語】『Lesson7 英文和訳』
今週の英語の課題です。きちんと訳せるようにしましょう。
【理科】『物質の化学変化』
今週の理科の課題は化学記号ですよ。
 
中原中3年
【数学】『入試予想問題⑤』38点
問1で1点ミスは許されません。
【英語】『入試予想問題⑤』30点
長文読解の出来が悪すぎます。
時間が足らないのは分かりますが、もう少し丁寧に。
【国語】『入試予想問題⑤』25点
問3、問4の得点率が低すぎました。
疲れかな?今日は前期選抜でしたから仕方ないですね。
お疲れ様でした。
 
奈良中3年
【数学】『学校ワーク』
【英語】『学校ワーク』
 
東橘中3年
【数学】『確率』
【英語】『適語選択』
答え合わせしなければやったことになりません!
【国語】『古文』
読み慣れることが高校入試古文のポイントです。
知識問題(文学史、旧月の読み方)は圧倒的に弱いです。。
 
☆☆☆高校生☆☆☆
住吉高
【数Ⅱ】『対数関数、logとは~底の変換』
logの出自から底の変換までの学習でした
計算はともかく、logの定義をよく覚えておきましょう
 
総合科学高(情報)
【数Ⅱ】『微分』
今日もあいかわらず接線の方程式でした
飽きてると思いますが繰り返しやります
それに加え、今日は新しいタイプの接線を求める問題をやりました
接点を文字で置くタイプです、忘れないでね
総合科学高(電子)
【数Ⅱ】『微分』
今日もあいかわらず接線の方程式でした
飽きてると思いますが繰り返しやります
日本工大駒場高
【数Ⅱ】『指数、対数の計算』
正答率がかなり上がってきました
計算問題はほぼマスターしましたね!
 
◆◇◆毎日が記念日◆◇◆
日本最低気温の日
 1902(明治35)年のこの日、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録・-41.0℃を記録した。
 1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低い-41.2℃を記録したが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっている。
 
左遷の日
 901(延喜元)年のこの日、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷された。
 彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言した。これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり、901年1月20日に菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とすることとした。
 長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春を忘るなと詠み、この日、都を旅立った。その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅」の伝説がある。
 菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなった。